『4つの願い』
その連絡は唐突にやってきた。
その時、僕は生徒会室で昼飯をつつきつつ、副会長と打ち合わせをしながら次の役員会の議題のレジュメをまとめているところだった。
「久瀬さん!やりました!!今度こそ決定的です!」
学校が終わるとすぐ、僕は病院に向かった。
最初関係者以外面会謝絶と言われたが「学校を代表してお見舞いをさせてほしい」という名目で、倉田さんの父上から話を通してもらい、どうにか病室に入れてもらうことができた。
倉田さんはベッドに横になっていた。
僕を見ると、露骨に驚いた表情をした。しかしそれもすぐにひっこめると、
「あ!久瀬さーん。お見舞いにきてくださったんですか?ありがとうございますーっ」
「うれしいですっ。ちょっと意外ですけど」
と、さすがに声に力は無いが、屈託の無い笑顔を浮かべて言った。
倉田さんは体を起こそうとしていたが、うまくいかなかった。首のギブスが痛々しい。
僕は眼鏡を押し上げながら言った。
「倉田さん、これは一体どういうことですか」
我ながら頭の悪い問いだ。
実は、事実関係はすでにある程度つかんでいる。
事件は深夜の学校で起こったということ。
現場には、例の川澄舞と相沢祐一が居合わせたということ。
倉田さんの怪我は頚椎損傷。斜め上方からの袈裟切りの打撃が原因であろうという医師の所見がでている。
また、その場に彼ら三人以外いなかったということは、状況証拠からも、川澄舞自身の証言からも確認がとれている。
そして当の川澄舞は、今日の昼、自棄になった様子で一暴れしたらしい。
剣のようなものでガラスを叩き壊して回ったのだ。
今回は衆人環視のもと、である。
ここまで話がそろえば誰が見ても事実は明らかだ。
犯人は川澄舞。そしてもしかすると、共犯、相沢祐一。
「あははーっ。つい階段でころんでしまったんですよーっ。ドジはだめですねっ」
…彼女がそう主張していることも聞いていた。
運ばれてきたとき、なんでもうわごとのように「階段で転んでしまいました」とつぶやいていたらしい。
「しかし倉田さん。医師の所見によれば、その傷は階段からの落下によるものではなく、何者かによる打撃が原因であるという結論が出ているようなんですがね」
「はえー…」
「では、質問を変えます。
倉田さん、あなたはあんな時間に、夜の学校へなにをしに行ったんですか?」
倉田さんは急に表情を輝かせて言った。
「昨日は舞の誕生日だったんですよーっ。それで、祐一さんと二人で示し合わせて、舞にプレゼントを渡す予定だったんです。おおきなアリクイさんのぬいぐるみ、かわいいんですよーっ」
空気の色さえ変わって見えるような、本当にうれしそうな笑顔だった。
「なるほど、誕生会というわけですか。
でも、それなら倉田さんの家でもよかったんじゃないですか?
なんでわざわざ学校なんかでやったんです?しかも、夜に」
「だって佐祐理の家に呼んだら、舞に誕生会をやるってばれちゃうじゃないですか。舞をびっくりさせたかったんですよーっ」
「つまり、こういうことですか?川澄さんが夜の学校にいるから、そこにでかけて行って誕生日会をやって、おどかそうと。
では、なんで川澄さんは夜の学校にいたんですかね」
倉田さんの表情が曇る。
「……はえー…。佐祐理も舞がどうして夜の学校に通っているのかは知らないです」
「『通って』?…確かにガラス事件などを考え合わせると、川澄さんが夜の学校に通っていたのは確かなようですね。
不良のすることなぞ理解できませんが、どうせ目的なんてろくでもない…」
「舞を侮辱するのはやめてください」
突然、いままでとは別人のような冷ややかさで、倉田さんはぴしゃりと言った。
その目に、僕を軽蔑するような光がよぎった。
僕には、その目が耐えられなかった。
「…どうして…どうしてかばうんですか!
川澄は不良だ。
公共のものを破壊して平然とし、しかもその過ちを何度も繰り返して改めるところが無い!
おまけに今度は傷害事件だ。
…そんな奴を…あなたのような人がなんでかばうんだ!!!」
「…こんな夜の病室にいると、思い出すことがあるんです」
不意に語りだした倉田さんに、僕は思わず口をつぐんだ。
「それは一人の男の子の姿です。
その男の子に、とても大切なことを教えてもらったんです」
倉田さんの語り口は穏やかだったが、なぜか言葉をさしはさむことができない。
そして倉田さんは、ゆっくりとベッドから体を起こすと、つっと僕に視線を合わせて、こう言った。
「ひとつ、必ずはっきりさせておかないといけないことがあります。
佐祐理を傷つけたのは、舞でも祐一さんでもありません」
言葉遣いは穏やかだったが、その視線は僕を射抜くかのように鋭かった。
倉田さんは目を伏せ、こう続けた。
「舞は、夜の学校で何かと戦っているんです。最初はたった一人で。今は祐一さんと一緒に。
それはたぶん、あの舞踏会の騒ぎの原因となった、ガラス事件の原因となった、
そして今回の事件の原因となった何かです。
…それは、少なくとも人ではありません。
…久瀬さんにはわかっていただけないかもしれませんが、きっとそうなんです」
「二度も被害にあった佐祐理自身が言うんですから、確かでしょう?」
そう言うと倉田さんは、ちょっとだけ、笑った。
「……久瀬さん。人は、人を幸せにして、幸せになれるんですよ。
あなたにも幸せにしたい人はどこかにいるはずです。
自分自身の幸福そのものといえる人が。
佐祐理にとって、それは舞と祐一さんなんです
佐祐理は舞に出会って、そして祐一さんに出会ってはじめて自分の幸せについて考えられるようになったんです。
もしも、久瀬さんがそれを阻むのだとしたら…」
そう言うと倉田さんは、それまでぎゅっとつかんでいたシーツから手を放し、じっと僕を見詰めて、言った。
「…佐祐理はどんな手を使ってでも、抵抗しますよ」
僕は何も言えなかった。
なぜだ。
なぜ倉田さんはあんな不良どもをかばうんだ。
脅されているわけではない。
脅されて屈するような人ではないし、脅しをうけている者があんな目をして、あんなことを言うはずはない。
『……久瀬さん。人は、人を幸せにして、幸せになれるんですよ。
あなたにも幸せにしたい人はどこかにいるはずです。
自分自身の幸福そのものといえる人が。
佐祐理にとって、それは舞と祐一さんなんです』
『舞と祐一さんなんです』
翌日。
朝学校に行き、いつものように生徒会室に顔を出すと、役員たちに取り囲まれた。
「久瀬さん!また校内の窓ガラスや蛍光灯が割られてますよ!
今回はずいぶん派手にやらかしやがった」
「また川澄の奴の仕業に違いありません」
「呼び出して締め上げましょう」
「昨日の倉田先輩の件と合わせて、今度こそ退学だ!もしかばいだてするなら相沢も一緒に処分しましょう」
「そりゃあいい…」
「黙れ」
土壇場の逆転勝利への期待と興奮に沸き立っていた満座が、水を打ったように静まり返った。
「今回の件は暴走族の仕業だ。僕が見ていた」
「えっ…でも当直の先生からそんな報告は…」
「僕の目撃では…不足かね?」
「い、いえ…」
「今後、川澄にはかかわるな。一切だ。
…どうせ、奴はもうすぐ卒業するんだ。もういいだろう」
卒業式が終わった。
僕は後片付けの状況を見定めてから、本年度最後の幹事会に参加するために体育館を後にした。
渡り廊下から校門が見える。
桜並木が美しい。
ふと見ると、校門の前に倉田さんがいるのが見えた。川澄と相沢もいるようだ。
どうやら川澄が倉田さんと相沢に交互にチョップをしているらしい。
倉田さんのはじけるような笑顔が踊っている。
思わぬ光景にぎょっとした。
不思議な心境だった。
「自分自身の幸福そのもの…か」
僕はその場を後にする。
…この不思議な気持ちに、いつか名前を付けることはできるのだろうか。
文月です。久しぶりのSSになりました。
ずっと前から書こうと思っていた、久瀬のお話をお届けします。
一応これが、うちの一万ヒット記念SSということになりますが…いかがでしたでしょう。
舞シナリオの終盤って、生徒会側にとって付け入る隙だらけじゃないですか(w
どうしてそこをつかなかったのか。
単に舞にびびったというだけでは、説明がつかないと僕は思いました。
彼らは「権力」をもっているのですから。
それは個人的な武力でどうなるもんでもないはずです。
そして久瀬というキャラクタ。
彼はKanon唯一といっていい嫌われキャラですが、本当に彼は嫌われるだけのキャラなのか。
僕には、そうは思えませんでした。
その二つの思いから、脳内挿入されたのがこのお話の原型です。
なんだか形にするのにえらい時間がかかってしまいました(^^;
(単に着手が遅いだけともいう…だって書き上げるまでには一日しかかかってないし(w))
みなさんにはこのお話、どう映りましたでしょうか。
よろしかったら「つまらん」のひとことでもよいので、ご感想をお聞かせくださいませ。
では、もしご縁があれば次回作で。