「三枝さんの憂鬱」
うちのクラスに遠坂さん、という人がいる。
この人は文武両道。運動も勉強も、なにをやらせてもそつなくこなしちゃう。だから先生方の信任も厚いのだけど、それを鼻にかけることもなく、かといって卑下することもなく、とても自然に生活している。欠点なんてどこにも見当たらない。わたしの、憧れの人だ。
「それなのに……」
遠坂さんにはお友達らしいお友達がいないように見える。ほら。今も誰とも話をせずに文庫本を開いた。この休み時間も、遠坂さんは一人で本を読んですごすつもりらしい。
「ん? なに由紀っち、また遠坂を気にしてるかね」
蒔ちゃんこと、蒔寺さんが、わたしの視線をたどってからんできた。
「うん。遠坂さん、いつも一人でさびしくないのかなーって」
「そんなんで寂しがるようなタマじゃないって。そんな細い神経の持ち主じゃあ、多分『遠坂凛』は一日だって務まらないよ?」
「……そうなの?」
「あったりまえじゃん。あいつは見た目も派手だし、やることも派手。どうしたって視線をあつめちゃうんだよ。男子の間じゃあアイドル扱いだし、この学校のローカル芸能人みたいなもんだからねえ。当然、敵もできるし、なんかするたびにいろいろ言われるわけさ。独りが寂しい、なんてかわいいこといってちゃ、こんな衆人環視の学校なんて、とっくに来なくなっちゃってるよ」
「うーん。それはそうかもしれないけど」
「そーなの! いーからあたしたち一般人は、目前に迫ったテストのことでも心配してればいいの!」
そういって蒔ちゃんはけらけら笑う。
うん。蒔ちゃんの言うことも分かる。遠坂さんは強い人だ。独りが寂しいだなんて、そんな細かいことを気にする人じゃあないように見える。
「……」
いや、やっぱりそんなことない。独りが平気な人なんているわけない。わたし、ずっと遠坂さんを見てきたから分かる。遠坂さん、たまにとっても寂しそうなタメ息ついてるもの。
おせっかいなのは分かってるし、本当はわたしみたいな地味なのじゃなくて、もっとふさわしい人がいるんだろうとも思うけれど。
でも、わたし遠坂さんのお友達になりたい。
「由紀っち! もう!」
「え?」
「え? じゃないよ! もうすぐ休み時間終わっちゃうよ?」
「あっ」
「まったく由紀っちはドリーミーなんだから」
蒔ちゃんの冷やかしに頬が染まるのを感じながら、わたしはあわてて、次の授業の準備をはじめたのだった。
いよいよ、お昼休み。
実は、今日は秘策があった。
以前、蒔ちゃんが『遠坂さんと一緒に昼食をとりたければ、遠坂さんの分もつくらなきゃダメだ』と言っていた。だから、今日は2時間早起きして、遠坂さんの分も作ってきてしまったのだ。……でも。
「やっぱり、なんかヘンな子だとか思われちゃわないかな……」
わたしは鞄の中に入っている、二つ目のお弁当箱を見ながら、ちょっとため息をついた。
「一緒にご飯をたべたいから、って理由だけで、友達の分までお弁当つくってくるのって、やっぱりおかしいよね……」
そこでちらり、と遠坂さんのほうを見ると……あれ? いない。
あわてて教室内を見回すと、遠坂さんは丁度、教室の後ろの扉に向かおうとしているところだった。
いけない。早く声をかけないと食堂にいっちゃう、と思ったその時。
「……え?」
遠坂さんしか見てなかったので今まで気づかなかったけど、遠坂さんの行く手に男子生徒がいた。どうやら彼が遠坂さんを呼び出したらしい。
「……ええ?」
そして彼は、すごくぎこちなく何気ないふりを装いながら、遠坂さんに四角い包みを手渡した。
すると遠坂さんはちょっと笑顔を浮かべて、彼に何か言った。
彼のほうは、よく聞き取れなかったが、どうやら「忘れるなよ」とかそういうことを言ったらしい。
彼に別れを告げて席に戻った遠坂さんは、その包みをゆっくりと解いた。
「!?」
わたしはとんでもない衝撃を受けた。
その包みは、お弁当箱だったのだ。
それも、わたしの作ったのよりも、数段豪華な。
「そんな……」
「ん? どったの由紀っち」
「由紀、何かあったの? 顔色が真っ青だ」
昼食をとるため、いつものようにわたしの席のまわりに集まってきていた蒔ちゃんと氷室さんが、びっくりして声をかけてくれている。
「ごめん! ちょっとでてくる!」
「え? ちょっと由紀っち!」
返事を聞かずに、わたしは教室を飛び出した。
時間が経っていなかったので、まだ廊下にいる彼をみつけることができた。
面識はないけれど、名前は知っている。
2−C衛宮士郎くん。
よく生徒会長の手伝いをしている人だ。
「あのっ!」
「え?」
驚いて振り向いた衛宮くんの顔を見て、我に返った。
『わたし、なんで衛宮くんに話し掛けてるんだろう』
うろたえた。知らない女生徒に、いきなりこんな必死の形相で話し掛けられたら、相手はどう思うだろう。恥ずかしさと混乱で、散り散りに吹き飛びそうになる理性を必死でかき集めながら、わたしはようやく、こう切り出した。
「あのっ! 遠坂さんとは、どういうご関係なのですかっ!」
「うえっ!?」
衛宮くんは目に見えてうろたえた。
バカ。
なんでいきなり核心をついてしまうのだわたし。
自分の言葉で、更に舞い上がったわたしをみて、うろたえていた衛宮くんはかえって冷静になってくれたのか、ちょっとまわりを気にしてから、こういってくれた。
「……ちょっと、屋上にきてくれるかな」
わたしはこくりと頷いた。
冬の屋上は、当然ながら寒かった。まして今日は曇り空。寒さが一層際立っている。
よって、人影は全くない。
だから、こういう人目が気になる話にはもってこいだ。
「……さて、遠坂と俺の関係、ってことだけど」
衛宮くんはゆっくりとわたしの方を見ながら言った。
「もしかして、さっきの、見てた?」
こくん。わたしは頷いた。
「……あちゃー。そもそも今朝、遠坂が忘れ物をしなければ、こんな危ない橋は渡らずに済んだのに……」
衛宮くんはぶつぶつと文句を言っている。……これは、もしや。
「あの、衛宮さんと、遠坂さんは、付き合っていらっしゃるの……ですか?」
ぼっ。衛宮くんの顔が一瞬にして真っ赤になった。まるで瞬間湯沸かし機に火が入ったみたいだ。
「いやっ そのっ あのっ なんというか そういうわけじゃないというか、そういうわけじゃないということになっているというか、いやちょっとまてそういうことをいうとまた撲られる、うわちょっとまった! タンマ!」
さっきまで、おろおろするわたしをリードしてくれていたとは思えない、衛宮くんのとんでもない取り乱しっぷりに、わたしは思わずふきだしてしまった。
「ぷっ!……」
「いや、あはは……」
それで、やや緊張につつまれていた雰囲気が、すこし和らいだ。
「遠坂との関係、か」
そこで衛宮くんは、覚悟を決めたように表情を引き締めると、わたしの目をみてこう宣言した
「実はここんとこ遠坂とはいろいろあってさ、付き合うことになったんだ」
「……」
思ったより衝撃はなかった。予想していた、ということもあっただろう。それに、まだ短い時間だけど、彼と話をしていて分かってしまった。この人はとっても不器用で、でも誠実な、ステキな人だ。
わたしの沈黙をどうとったのだろう。衛宮くんはあわてて話をつづけた。
「別に隠すつもりはないんだけど、なんというか……いままで俺たちあんまり関係なかったし、いきなり仲良くなるのも問題があるから、ゆっくりと、とりあえず来学期までは隠しておこうって約束になってるんだ。だから……」
「もういいです、衛宮さん」
いい笑顔を浮かべられたと思う。
「遠坂さんのこと、宜しくお願いします」
ぺこり。心を込めて、お辞儀をした。
「いきなりヘンなこと訊いて、スミマセンでした。答えてくれてありがとう。じゃあ、これで」
「あ、ちょっと」
そのまま踵を返して教室に駆け戻ろうとしたわたしを、衛宮くんが呼び止めた。
「はい?」
「君、三枝さん、だよね?」
「えっ!?」
不意打ちだった。すっかり謎の女生徒Aのつもりでいただけに、一層驚いた。
「いや、前に遠坂が、可愛らしいクラスメイトがいるんだって話してたんだ。そのイメージに凄く近いし、それに2−Aから飛び出してきたのも見えたしね」
「えっ、えっ、えええーー!」
ぼっ。
今度はわたしが真っ赤になる番だった。遠坂さんがそういう風に思ってくれていたことが嬉しいという気持ちが渦巻いていたが、同時に、彼と遠坂さんがそんなことまで話す仲だというのが、ほんのちょっぴり、悔しかった。
「あいつ、友達の話をすることなんてめったにないんだ。意地っ張りだし、学校ではあのとおりの完璧な優等生だからさ。それが、ちょっと心配だったりもするんだ。……これからも、是非遠坂と仲良くしてやってくれ」
この通り、と彼は頭をふかぶかと下げた。
「男の俺じゃあ、わかってやれないこともいっぱいあるだろうしさ。……こんなことを言っていいのかどうかわからないけど、今日話をしていて、三枝さんが遠坂のこと、好いていてくれてるのが良く分かったから」
「いわれなくてもそうしますっ!」
まるで遠坂さんの保護者のような口ぶりに、ちょっと腹が立ったので、思わず強く言い返してしまった。
「ありがとう」
それなのに、衛宮くんは満面の笑みで、心からの感謝を返してくれた。
「……あの、ひとつ訊いてもいいですか?」
「なに?」
「どこで、わたしが遠坂さんのことそんなに好きだってわかったんですか?」
「うーん……」
ちょっと難しかったらしい。衛宮くんは腕組みをしてちょっと唸ってから、こう答えた。
「具体的には、口調や表情から、なんだろうけど……多分、お互い遠坂のことが好きなもの同士だから、かな」
そう言って、照れたように笑う彼。
うわ。やられた。
そんなこと言われたら、わたしはこの人を嫌いになれない。
「わかりました。これかれも遠坂さんともっともっと親しくなれるように、わたし頑張ります。……気をつけてくださいね。衛宮さんもちゃんと遠坂さんのことつかまえてないと、わたしとっちゃいますよ?」
「ええー!?」
さすがに狼狽した衛宮くんの顔がおかしくて、わたしはくすくす笑った。
「ふふふ……」
「いや、あはは……」
それをみて、衛宮くんもちょっと苦笑まじりに笑った。
きーん こーん かーん こーん
その時、無情にも昼休み終了直前を告げる予鈴が鳴り響いた。
「うわ、いけね。昼休み終わっちゃったよ」
「ホントですね。もしかして衛宮さんもお昼抜きですか?」
「じゃあ、三枝さんもか」
「はい」
「まあいいや、なんか楽しかったし」
「はい、わたしもです」
「さあ、急ごうぜ」
そういって衛宮くんは、屋上から校内に通じる、重い鉄扉をゆっくりと開け放った。
「はい!」
お腹はペコペコだし、教室に置き去りにした二人からあとで小言を言われるのは確定だし、遠坂さんに恋人がいるという衝撃の事実まで明らかになっちゃったんだけど、なぜか心は晴れやかだった。
これからは、もっと気軽に遠坂さんに話し掛けることができる、そんな勇気を、衛宮くんにもらったような気がした。
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