「マチビトキタル」


 私はあまり人を待ったことがなかった。

 もちろんこれまで学生をやってきたのだから、クラスメートなど複数の相手を『集合』という形で待つことなら、幾度もあった。
 でもこうして、休日に特定の誰かと外で待ち合わせたことなんて、ほとんど記憶にない。

 それにしても暇。
 私は公園のベンチの上でぐっとのびをした。
 そんな私の目の前を、文字通り傍若無人な鳩の団体さんが、胸をそらして通り過ぎていく。

 大体、家を出るのが早すぎたのだ。公園に備え付けの時計を見上げる。待ち合わせは2時。そして今の時刻は1時。まだあと一時間もある。こんなことなら、本の一冊でも持ってくればよかったな、とちょっと後悔する。
 あきらめ悪く、もう一度時計を見上げる。さっきから1分と経っていない。まだこの60倍以上も待たなければならないことを思うと、ちょっと気が遠くなる。

 私は遅刻が嫌いだった。自分が待つのはいい。けれど、人を待たせるのは嫌だったのだ。
 かつて私は、自分の存在が無色透明であることを望んでいた。誰かに好かれるのも嫌われるのも、同じくらい嫌だった。
 最初は単に、他の人と深く関わることを恐れていただけだったように思う。それがいつのころからか、『他者』に過度の関心をもたれること自体を恐れるようになってしまっていた。クラスの中で「いるのかいないのかわからない」存在。それが私の理想だった。
 そういう意味で、遅刻はとてもまずかった。否応なく目立ってしまう。そうなると、一日を無色透明に過ごすことはかなり難しくなる。
 だからまた一方で、早すぎるのも好ましいことではなかった。あまり早く到着してしまうとそれはそれで目立つし、同じく早く到着した『他者』に話しかけられてしまう可能性もある。それに早ければ早いほど『他者』との接触の時間が長くなってしまうし。

 だから、早すぎも遅すぎもしない時間に『集合』するのが私の常だった。

 でも、今日はどうしたことだろう。明らかに早すぎる。
 もしかして私、浮き足立ってる? 少なくともこの初めての待ち合わせに、あるいは初めてのお出かけに、かなりの興奮をおぼえているのは確かだ。おかげで予定の50分前には身支度が済んでしまい、徒歩25分はかかると見込んでいた場所に、なぜか10分も早く到着してしまった。しめて1時間待ち。
 人に会うことがこんなに楽しみだなんて、一体いつ以来だろうと考えかけて、あわてて思考をそらす。今日はハレの日だ。悲しいことは、あまり考えたくない。

 もうそろそろかなと思って時計を見上げる。……1時12分。思わずがっくりしてしまう。

 今日の私の待ち人、栞さんは、長期療養から最近病気が治って復学してきたばかりの、私のクラスメートだ。以前にも顔をあわせたことはあるはずだけど、本当の意味で初めて「会った」のは、彼女の快復祝いパーティーの席上でのことだった。
『天野は栞と同じクラスなんだって? 冬にわざわざ好き好んでアイスクリームを食べるような変な奴だが、是非友達になってやってくれ』
 とある事情で知り合った、ちょっと変わり者で、でも優しい先輩の紹介だった。思えばあの人は最初からそのつもりで私を誘ったに違いない。だって、それは私には何の関係もないパーティーだったのだから。……その割には、なんとなく紹介する気があるのかないのか分からない紹介の仕方だが、そこはまあそういう人なので仕方がない。

 それ以来、重い病気だったことなど微塵も感じさせない彼女の明るさに、ちょっと引っ張りまわされるような形での友達づきあいが続いている。

 彼女のように、私を受け入れようとしてくれた人は、今までにもいなかったわけではない。でも、その都度私は拒絶してきた。もう、誰とも関わりたくなかった。
 そういう人たちと彼女……栞さんでは、一体どこが違うというのだろう。とにかく私は、理不尽なまでに元気な栞さんに振り回されつつも、なぜかそれが嫌ではなかった。
 何故? 栞さんが特別なのか。それとも、あの二度目のおとぎばなしが、私を変えたせいだろうか。
 よく、分からなかった。

 今日の約束のこと。
 もちろん誘ってくれたのは栞さんのほうだ。はじめは、彼女の洋服を選ぶのに付き合ってほしいという話だった。
『美汐ちゃん、いいですか? いいでしょ? いいですよねー? わーいきまりー!』
 という感じで、殆ど私の意志を無視して決定されたことだったけれど、自分を誘ってくれたことがなんだか素直に嬉しかった。そして、そういう自分の心の動きに驚いた。そんな自分が嫌じゃなかった。
 それから栞さんは興奮した様子で、更に続けた。
『ええと美汐ちゃんはこの映画観ました? 観てないですか? 観たくないですか? 観たいですよね? だってほらほらこんなにたくさんの人が絶賛してますよ? 全米No.1ヒットですよ? なんかこっちのチラシの全米は震撼もしたらしいです。私観たいです。一緒に観ましょう? ね?』
 そんな調子であれよあれよという間にプランが立案されていった。
 友達とショッピング、友達と映画、友達と喫茶店……。なんだかきらびやかな言葉が並ぶ。その主語が自分だなんて、どうにも信じられなかった。


「あれっ?! ……美汐ちゃん?」

 最近急速に聞きなれてきた声に現実へと引き戻され、はっとして顔を上げる。
 そこには案の定、栞さんがいた。

 しばし顔を見合わせ、そのまま二人して時計を見上げる。……1時22分。

「「え? どうして……」」

 思わずハモってしまったのが無性におかしくなり、二人でくすくす笑った。
 ひとしきり笑ったあとで、栞さんはいぶかしげに尋ねた。
「……美汐ちゃん、2時の約束じゃなかったですか?」
「ええ。それで間違いないですよ」
「……よかったー。私時間を間違えちゃってたかと思いました……でも、それならなんで美汐ちゃんはこんな時間に来てるんですか?」
「え、うんと、その」
 『興奮して早く来てしまった』なんて、ちょっと恥ずかしくて言えなかった。まるで漫画とかで見る、遠足を楽しみにする小学生みたいで。
「……栞さんこそ、まだ大分早いですよ? どうされたんですか?」
 すると栞さんは、ちょっとばつが悪そうな笑顔を浮かべ、こう言った。 「だって、『今日は美汐ちゃんとデートだっ』って思ったら、なんだか興奮しちゃって」
 だから思わず早く来ちゃいました、そういって栞さんはちょっと舌を出した。
「……実は私もそうなんです」  私もその笑顔に誘われて、一度は隠した本音をだしてしまう。
「え?」
「私も……なんだか楽しみで」
 言ってしまってから恥ずかしくなって少し目を伏せてしまう。
 栞さんは、ちょっと目を丸くしてから、安心したような笑顔を浮かべた。そして、ほうというため息と共に私の隣にぺたんと座った。
「……よかったー」
「え?」
「私、美汐ちゃんのこと強引に誘っちゃったから、もしかしたら迷惑なんじゃないかなって、心配してたの。ほんとに、よかったあ……」
「迷惑だなんて、そんなことありません!」
 思わず立ち上がり、大きな声を出てしまって、自分で驚く。栞さんも驚かせてしまったみたい。……でも、これは言っておかなくては。
「私、友達とこうして遊んだことなかったんです。だから栞さんが誘ってくれたこと、とても嬉しかったんです。……友達と映画とか、友達とショッピングとか、今まで自分とは縁がないことだったし。まあ、これまでは別にそれを残念だとも思っていなかったんですけど……でも、栞さんと今日遊べるのは、とても嬉しいんです。……こういうこと、あまり経験がありませんから、なにか変なことをしてしまうかもしれませんが、今日はよろしくお願いします」
 そこまで一気に喋って、私はぺこりと頭を下げた。
 いきなりこんなことするのは変だったかな。恐る恐る顔を上げると、そこには栞さんの嬉しそうな笑顔があった。
「私だって……私だってそうです。ずっと病気だったから、こうやってお友達と遊ぶ経験なんてほとんどなかったんです。……だから、美汐ちゃんを誘うときも、すごく緊張したんですよ? 断られちゃったらどうしよう、って」
 実際に話しかけるまでに、何回も練習しちゃいました、と栞さんは照れる。
「だから、私のほうこそ迷惑かけちゃうかもしれないけど、どうぞよろしくお願いします」
 そう言って栞さんは、さっきの私と同じようにぺこりと頭を下げた。
「いえいえ、こちらこそよろしくお願いします」と、私ももう一度頭を下げる。

「……でもなんだか、会って早々、何度もぺこぺこお辞儀しあう友達の図って、端からみるとかなり変じゃないかという気がします」
「……言われてみればそうかも」
 私たちはそう言ってまた笑いあった。

「美汐ちゃん」
 栞さんが不意にぴっと右手を差し出して言った。
「変なことついでに、握手しませんか?」
「握手?」
「改めて、これから二人でおっかなびっくり友達をはじめましょうという、約束の握手」
「……なるほど」
 差し出された手をそっと握る。
「どうぞよろしくお願いします」
「こちらこそ、末永くよろしくお願いします」
「……なんか、結婚でもするみたいですね」
「……ほんとだ」
 そういうと私たちは、今日何度目かのくすくす笑いをした。

 そうか。
 栞さんと私はどこか似ている。
 私には彼女のような明るさはないし、行動力もないけれど、いわば立ち位置が近かった。当たり前のことを当たり前にもっていない、滑稽な二人。
 きっと彼女となら一緒にはじめられる。そう思ったから、私は栞さんを受け入れることができたんだと思う。
 そんな彼女と、こうして同じ時間を過ごし、同じことを笑いあえるということ。それはなんて幸福なことなのだろう。
 こんな幸福を知らなかった過去の自分に、栞さんを紹介してまわりたい。
 『あなたにはこんなに素敵な友達ができるのよ』って。

 私たちは忘れないだろう。
 今日の握手のぬくもりを。
 当たり前のことをようやくひとつ手に入れた、今日の滑稽な自分たちの姿を。
 忘れて、たまるもんですか。

「さて、まずは、映画ですねっ。でもまだちょっと早いなあ。美汐ちゃん、お茶でも飲みにいきましょうよ。……そうだ。ハンバーガー屋さんとか、行ってみません?」
「……行ったことはありませんが、頑張ります」

 今日も、これからも、まだはじまったばかり。


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 読んでくださってありがとうございました。文月そらです。
 ……ということで、美汐さんと栞のおはなしです。

 ちなみにこのおはなしは、CFさんのお誘いで参加させていただいた、SS誌「Utopianism」に寄稿したお話です。ただ、今回アップするにあたり、多少手を加えていますが。

 僕は美汐さんと栞の仲良し話がとても大好きで、同人誌を買うときでもそういうおはなしを優先して買いあさったりするわけですけど、今回はそれを自分でやってみたらどうなるかなと思ってチャレンジしてみました。
 当初はもっとほのぼのしたお話になる予定だったのですが……あれ?(w
 筆に任せて書いているうちに、気がついたら結構シリアスなお話になっていました。
 まあ、これはこれで。
 でも今度は、もっと単純で楽しくて幸せなしおみし話が書きたいなあ。ギャグ仕立てな感じもいいかも。でも僕にギャグなんて書けるのだろうか。

 ところで、今度のCレヴォ33で「まこみし文庫」という本が出るのですよ。その名のとおり、美汐さんと真琴のしやわせアンソロジーです。
 書き手は、せいるさん/七瀬友紀さん/風見由大さん/もりたとおるさん/桜木克典さん/ぼく。絵師さんは池田せあらさん/百合彦さん/ラックラックさん/村人。さん/ハルゑもんさん/天野拓美さんという、僕だけ異常に浮いている素晴らしい面子で出るのです。しかも今後も続刊して計4冊のシリーズになる予定です。絶対いい本になると思うので、ゼヒゼヒ読んでみてくださいね、とちょっと宣伝。

 さて、御感想のほうは如何でしたでしょうか?
 一言でもよいので、是非お寄せください。お待ちしております。

 では、ご縁がありましたら是非また次のおはなしで。

おたより、おまちしてます。

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