「瞳子様がどりる!」〜チェリーブロッサム〜
祥子お姉さまが、自分を見つめなおすためには日記をつけると良いとおっしゃっていたので、高校入学を機会につけてみることにする。
しかし、日記なんてつけたことがないので、正直戸惑いがある。お姉さまは「思うがままに書けば良いのよ」などとおっしゃるけれど、そんなことを言われると一層どうしたらいいのか……。とりあえず、その日の出来事を書き留めていくことにしよう。脚本の勉強になるかも知れないし。
今日は入学式。新入生代表の挨拶は、新クラスメートでもある二条乃梨子さんという方。特に目立つ容姿ではなく、全体に地味な印象の方だったけれど、外部入学で代表に選ばれるくらいだから、成績は相当良いのでしょうね。こうしてクラスメイトになったのも何かの縁。お友達になって、この学園のことをいろいろ教えて差し上げよう!
放課後、中等部から演劇部の後輩の子たちが、進学のお祝いにと小さなお花をもってきてくれた。……中学の時は、高校生というとやたら大人びて感じたものだけど、実際自分がなってみると、全く実感というものがない。今の自分は、かつて祥子お姉さまがそう見えたように、彼女たちの目からは大人に見えるのかしら。
帰り際、薔薇の館の近くで祥子お姉さまを見かけた。丁度声をかけようとしたタイミングで、例の祐巳さまが駆け寄っていったので、声をかけそびれてしまった。……なにか、不愉快。
敦子さんに聖書朗読部への入部を勧められた。まるでその気はなかったので断ったのだけれど、あまりに残念そうにするのでちょっと申し訳ない気持ちになった。でも、本当に信心がない人間がやっていけるクラブではないので、仕方ないですわよね。
クラブは、やはり高校でも演劇を続けたい。それと、祥子お姉さまのそばで山百合会のお手伝いもしたい。もちろん、両立は難しいだろうけど、黄薔薇さまである支倉令さまは剣道部主将と山百合会を立派に兼任していらっしゃるのだから、わたしにできない、なんてことはないと思う。やはり、わたしの高校生活を輝けるものにするためには、この二つの舞台はどうしてもほしい!
さて、演劇部への入部は問題ないとして、山百合会にはどうやって入ろうかしら。
現在、妹をもっていらっしゃらないのは、紅薔薇のつぼみ、黄薔薇のつぼみ、白薔薇さまのお三方。どなたの妹にしていただくのが良いか、これからよく検討しようと思う。
早速、敦子さんと美幸さんに、乃梨子さんお友達計画を話したところ、大喜びで賛同してくれた。どうやら二人とも、それぞれに乃梨子さんに興味を持っていたらしい。
「聖書朗読部に入ってくださると嬉しいのだけど……」
そういう下心はみせないほうが、と思ったけれど、あんまりにも二人とも楽しそうなので黙っておいた。
それから早速、三人して話しかけてみた。とりあえずは昼食をご一緒にと誘ったが、硬い笑顔で断られた。外部入学で少なからず不安な気持ちであろう人を、いきなり三人で囲んだのはマズかったかも。また日を改めて仕切りなおそう。
クラブの件。早速演劇部に入部届けを出した。
部長さんはわたしの中学時代の舞台を見てくださったことがあるらしく、期待していると言っていただけた。もちろんそのご期待には十二分に応えるつもり。
高校での役者人生のスタートがここに刻まれた!
さて、一方の山百合会入りの件。早速今日はお姉さま候補の方々のご様子をさりげなく見てきた。でも一日だけではまだ情報が足りない。この問題については少しの間、腰を落ち着けて考えたいと思う。
乃梨子さんに昨日の強引な印象が残っていると不味いので、今日は『乃梨子さんお友達計画』はお休みということに。だから学内では特にこともなし。
かわりに、三人で作戦会議をひらいた。『第一印象は重要!』ということで、どうやったら少しでも好感をもってもらえるかしらと三人で頭をひねる。その場ではいまひとつ結論が出ず、明日までの宿題にすることに。
家に帰ってからいろいろ考えたのだけれど、やっぱり、外部からわざわざ受験してこのリリアンにやってくるくらいの方であるので『リリアンらしさ』を全面に押し出した形が良いのではないかしら。明日、二人に提案してみよう。
今日も三人で作戦会議。「リリアンらしさを」ということで一致したけれど、さて「リリアンらしさ」とはどういうことかを具体的に表現しようとすると、なかなか難しい。昼休み全部を使って「リリアンらしい言葉遣いを心がける」ことと「リリアンでの生活の楽しさをアピールしていこう」という基本方針がまとまった。決行は明日。上手くいくと良いのだけれど。
今日は計画を実行。幸い朝から乃梨子さんに会うことができたので、さっそくご挨拶から。
やはり名前を覚えて頂けていなかったみたい。彼女の戸惑う様子をみていると顔すら覚えてもらえてないような気も。……まあ、先日の悪い印象は残っていないということだから、それはそれでかえって好都合かも。
その後教室でも、機会を見つけて話しかけるが、やはりどうも反応が悪い。というより、避けられているのを感じる。
話しているうちに思ったのだけれど、もしかすると彼女はリリアンに来たことを後悔しているのではないかしら。他の話題でもそっけないけれど、特に話がリリアンがらみのことになると、その淡白さが一層際立つような気がする。
……しかし、ここまで相手にされないと逆にファイトが沸いてきた。なんとかしてこの乃梨子さんの頑なさをこじ開けてやりたい!
さて、お姉さまウォッチングを始めて3日目。そろそろ印象が定まってきたので、このへんでまとめておこうと思う。
まず、黄薔薇のつぼみ、島津由乃さま。
……なんだか物凄く気が強そうな方。剣道部のスター、ミスターリリアンこと、支倉令さまを完全に尻にしいているみたい。昨日お昼休みにベンチで見かけた時も、ノドが乾いたと言って、令さまにジュースを買いに行かせていた。話によれば幼馴染らしいから、そのせいもあるのだろうけれど、あの令さま相手にあそこまで強気に出られるなんて、ちょっと信じられない。令さまも、由乃さま相手の時は普段の凛々しさがカケラも感じられない。嬉々として使いっ走りをさせられている。……あの姿を令さまファンの方が見たら、卒倒しそう。
……なぜだろう。私、由乃さまとは絶対に合わない気がする。
次に、紅薔薇のつぼみ、福沢祐巳さま。
この方については、祥子お姉さまの妹になった時に一通り調べてはいたのだけれど、一応改めて、ということで。
容姿普通、成績普通。で、性格のほうは……ちょっと間が抜けていらっしゃる。
今日も薔薇の館から書類を運び出すときに、階段につまづいて危うく書類をすべて地面にぶちまけそうになっていた。すぐに周りを見渡して、誰にも見られていないと安心の吐息をつかれていたが、どこで誰が見ているかわからないものですわよ、祐巳さま。
正直祐巳さまに興味は全くないのだけれど、もし祐巳さまの妹になるメリットがあるとするなら、祥子お姉さまと同じ紅薔薇を名乗ることができるという点。だけど、祐巳さまをお姉さまと奉じてやっていける自信がない。それにしても祥子お姉さまは、祐巳さまのどこが良くて妹になさったのだろう。そこだけは興味がある。
そして最後、白薔薇さまこと藤堂志摩子さま。
志摩子さまには死角がない。容姿、物腰、気品、成績、文句のつけようのないお姉さまだ。祥子お姉さまが一度は妹に、と考えられたのも頷ける。このお3方の中から、ということになれば、やはりダントツで志摩子さまだ。紅薔薇という名前に未練はあるけれど、よくよく考えてみれば、山百合会に入ってさえしまえば、祥子お姉さまのお手伝いはできるわけだし、そこはあまり気にしなくてもいいような気がしてきた。
乃梨子さんにマリア祭の話をふったところ、最初はいつも通り気乗りのしない様子だったのが、通りがかった薔薇さま方を見た瞬間から、にわかに反応が変わった。リリアンには興味がないという顔をしているくせに、どうやら薔薇さま方には興味をお持ちらしい。何を話しても反応が梨のつぶてなので、そろそろ手詰まりになっていたのだけれど、ちょっと安心した。そのあたりが彼女の心を開く突破口になるかしらね。
さて、志摩子さま計画のほう。まずは面識をつくろうと思うのだけれど、志摩子さま、神出鬼没でなかなか話しかけるタイミングがつかめない。さっきまでクラスメイトと話をしていたと思ったら、ちょっと目を放した隙にいなくなってしまうのだ。本当に、気配もなく。……まるで、妖精みたいな方。
今日は妙なことがあった。乃梨子さんが昼休み、一人で教室から出て行くのをみかけたので、付いていってみた。
出かけた先は、銀杏並木の中に立つ、一本の桜の樹の下。
乃梨子さんは人目を引く華やかな容姿ではないけれど、強い意志を秘めた瞳と、和人形のようなきりっとした端正さを持っている。誰もいないその場所で、一人佇んでいるそんな乃梨子さんの姿は、銀杏並木にただ一本、孤高に咲く桜の姿と相まって、とても幻想的だった。
なんとなく声をかけそびれてしまったので、彼女がなんであんなところにいたのか、結局訊くことができなかった。桜が好きなら、もっとたくさん桜が咲いている場所なんていくらでもあるのに。
くっ!
くっっ!
くぅーーやーーしーーいぃーーーー!
今日の昼休みも、教室から抜け出した乃梨子さんの後をなんとなく追ってみた。
そしたら! なんと!
あの白薔薇さま。藤堂志摩子さまと乃梨子さんが密会していたのだ!
あんなに、リリアンには興味ありません。 みたいな顔で澄ましていたくせに!!
……いや、落ち着きなさい瞳子。もしかしたら私と祥子お姉さまみたいに、ご親戚か幼馴染か何かで、入学前から志摩子さまとつながりがあったのかもしれない。
ううん。あの親密さからいって、リリアンに入ってから即席で築いたものであるとは考えにくいし。
そう。
きっとそうだ。そうに違いない。明日その線で確かめてみよう。
……どうやら、志摩子さまと乃梨子さん、本当にご親戚ではないらしい。
……じゃあ、一体!? なんで!? どうして……。
しかも。今日廊下でばったり、志摩子さまとお会いしたのだけれど、その時、思いっきり目の前で親密ぶりを見せ付けられてしまうし……。
ショックのあまり、思いっきり素で乃梨子さんに感情をぶつけてしまった。
「乃梨子さんが白薔薇さまの妹に選ばれるなんて、そんなこと……そんなこと絶対にあるわけございませんことよ!」
ああ、言ってしまった。
……今日は他にもこまごまとあった気もするが、そのことで頭がいっぱいになってしまったので、何も書く気がしない。……はぁ。
おやすみなさい。
すごく面白い話を聞いた。山百合会で、志摩子さまを助けるために一芝居打つらしい。『助ける』というのはどういうことか。いろいろ聞きかじった話を総合するとこういうことらしい。
まず一つは、志摩子さまがずっと抱えていらっしゃる『実家がお寺』という秘密。そのせいで信仰も友人も裏切っている、という罪の意識から志摩子さまを解き放つこと。
もう一つは、未だに前白薔薇さまである佐藤聖さまに気持ちを残していらっしゃる志摩子さまを、薔薇の館の本当の仲間としてお迎えすること。
祥子お姉さまのおっしゃるとおり、白薔薇さまにも乃梨子さんにも、今必要なのはまさにお芝居だと思う。それも、彼女たちのちっぽけな罪悪感を打ち砕くくらいの、一滴二滴悪意を垂らした、そんなお芝居。だって、悪意のひそむ相手に、罪悪感なんて感じるいわれはありませんでしょう?
それなら、いまこそこの大女優(予)、松平瞳子さんが一肌脱ごうじゃありませんか! というか、わたしがやらなきゃ誰がやる!? っていう感じ!
やっぱり、一番おいしいのは悪役よね!
……あ。そうだ! 昨日のわたしのあの態度! 伏線として思いっきり生きてくるんじゃないのもしかして! そうね! うん。乃梨子さんのことを思いつつも、あえて彼女のためにあえて悪名をかぶる友人。うんステキ。この役しかないわ。
さて、マリア祭まで日もないし、そろそろ伏線は張っておいたほうがいいわね。
忘れないうちに、思いついたストーリの概略だけメモして、今日は寝よう。
これは、明日から忙しくなるわ!
細工は流々という感じ。着々と機は熟してきている。
現在、乃梨子さん嫌がらせ大作戦が進行中。難しいのは、いじめになってしまわないようにしないといけないというところ。
だって別に乃梨子さんに傷ついてほしいわけではないし、あくまでも最後に悪役としてわたしが輝けるよう、悪役っぷりが不自然にならないよう、わたしが本気だということを示せればそれでいいのだから。伏線は、あくまでさりげなく。
脚本の構想もだいぶ練りあがってきた。でも、あとひとつ足りない。
何か、決定的な証拠がほしい。乃梨子さんと志摩子さまのつながり。志摩子さまと、仏教のつながり。……その双方を端的に表す証拠品があれば、クライマックスシーンがぐっと盛り上がるんだけどなあ。
「そこまでしらを切られるのでしたら、仕方ありませんわね……じゃあ、これはなんですの?」
なーんて♪
すごい!
昨日考えていた、まさに思ったとおりの理想的な小道具が出てきた!
今日、祐巳さまに志摩子さまと乃梨子さんの密会の現場をお見せしたのだけれど、そこで決定的な場面を目撃してしまったのだ。……なんと、志摩子さまが乃梨子さんに数珠を貸したのだ! 実のところ、遠目では巾着を渡していらっしゃるとしか分からなかったのだけれど、なにやら雰囲気が怪しいと読んで、乃梨子さんが机を離れた隙に確かめてみたのだ。すると……なんと中身は数珠だった! それをみつけたときの興奮といったら、もう!
これなら、仏教とのつながりは誰の目にも明白だし、もともと志摩子さまのものを乃梨子さんが持っているわけだから、志摩子さまと乃梨子さんのつながりの証にもなる。……これはもう、この計画をマリアさまが応援してくださったに違いないわ!
一気にお膳立てがそろったので、その興奮を込め、昼休みに脚本をまとめていたら、筆がのってとまらなくなり、授業中も使って一気に書きあげてしまった。タイトルは『名探偵瞳子の事件簿 消えた数珠の謎』! 自分の才能が怖くなるほどの出来。
さっそく勢いに任せて薔薇の館でお披露目したのだけれど……やっぱりすんなりわたしに主役をやらせて下さるほど、薔薇さま方は甘くなかった。でも、令さまは
「瞳子ちゃんのシナリオからも、要所要所ピックアップする」
と言ってくださったので、それなりに活躍の場面はあるはず!
……そうこなくっちゃ、今日まで積み上げた伏線が泣いてしまいます。令さま大好き!
一方、祐巳さまは終始しんみりしていた。挙句、数珠受け渡しの決定的なシーンも見ずに帰ってしまった。せっかく特別にご一緒して差し上げたのに……。まったく。張り合いのないこと!
薔薇の館で関係者打ち合わせ。本番脚本の詳細がまとまった。
最大の見せ場、名探偵の推理披露のシーンがなくなってしまったのが残念。祥子お姉さま曰く「これは、志摩子が自分で口にしないと意味がないの」とのこと。なるほど、さすが祥子お姉さま。
ハイライトシーンの口火を切る役は、わたしに残してもらえることになった。うれしい! おいしい! 演劇部のみなさんへのアピールにもなるし、思う存分やりますわよ!
……それにひきかえ、祐巳さまはこの期に及んでまだ迷っているみたい。もう幕はあがっているのに。きちんと悪役を演じきることが、志摩子さまのためになるということが、まだお分かりでないのかしら。万が一中途半端な結果になれば、最悪の場合取り返しがつきませんのに。……いらいらする。全く、なんでこんな方が祥子さまの妹なのやら!
さて、今日は決行当日。すごくいろんなことがあった。
まずは朝から仕掛け人5人で、薔薇の館で打ち合わせ。わたしの最初の役目は数珠ゲット係。ここはわたしの脚本どおりだ。クラスメイトのわたしが一番適任なのは明らかですものね。そしてそのための時間稼ぎを、薔薇さま方お二人にお願いした。
ところが本番では、乃梨子さんが戻ってくるのが思ったより早く、数珠を持って教室から退散しようとするところで乃梨子さんと正面から思いっきりはちあわせてしまった。
正直あせったけど、とっさのアドリブで憎まれ口をたたいた。
「白薔薇さまの次は、紅薔薇さま、黄薔薇さまにまで取り入ろうとはね」
自然にやれたとは思うれけど、この計画一番の危機だったと思う。なにしろ、数珠がなくなり、その直前、最近敵対している瞳子の逃走シーンに出くわしているのだもの。普通に考えたら犯人は明らか。怪しまれれば、同じクラスのわたしに逃げ道はない。
多分直前に、薔薇さま方が乃梨子さんを挑発してくださったのが効いていたのだろう。動揺に次ぐ動揺で乃梨子さんは平常心でいられなかったのだと思う。なんでも後から聞いた話によれば、かなり容赦なく恐ろしい挑発だったみたい。乃梨子さん、お気の毒だったわね。……でも、おかげで助かったわ。
数珠がなくなっていることに気づいても、乃梨子さんがわたしを追ってくる様子がないことを確認。ほっとしたところで、廊下の向こう側の祐巳さまと目が合う。思わずピース。
そこからわたしの役割は、乃梨子さんの監視に移行。彼女が間違っても志摩子さまと相談したりしないように。……彼女は午前のミサの後、学園中を必死で走り回って志摩子さまを探していたけれど、その志摩子さまは、由乃さまが隔離していたのだから、当然見つからない。会うことができなくて肩を落とす乃梨子さんの姿に、またちょっと気の毒になったけど、まあそれもこれも乃梨子さんのためだしね。
そして、いよいよクライマックス。式が始まった。
式の最中から、乃梨子さんは挙動不審。まあ、無理もないわよね。
わたしの方はといえば、いよいよ本格的に幕が上がった興奮でドキドキしっぱなしだった。これからのドラマチックな展開! そこでの自分の姿と、みんなの反応を想像すると、もうたまらない気分だった。いよいよだ。いよいよ、今まで延々と張り巡らせてきた伏線を一気に回収できる!
他の仕掛け人の方々の様子を伺う。何も知らない白薔薇さまが平常心なのは当たり前だけど、紅薔薇黄薔薇のお姉さま方も、見事な落ち着きようだった。あのくらい美しい方がスポットライトを浴びて、堂々とふるまわれると、なにやら神々しくすらある。……これから始まる大芝居への気負いも、まったく感じ取れない。流石ですわ。演劇部にだってあそこまでの舞台度胸がある人間が、一体何人いることか。生まれついて、人の前に立つべき人というのはいるものだと思った。
一方、プゥトンのお二人には明らかに緊張感が漂っている。まあ、お二人とも同学年のお友達のことだからというのもあるでしょうけれど、それを考え合わせても、傍らの薔薇さま方とは対照的だ。
由乃さまはまるで怒っているみたいな表情だし、祐巳さまに至っては……関係者の顔をきょろきょろと見回し、視線が泳いでしまって、ほとんど一点にとどまることがない。当然、わたしの方にも視線がとんできたので、ニヤリと笑って見せてさしあげた。……もうちょっとでいいから、落ち着いてくださらないかしら。
そうこうしているうちに、おメダイ贈呈は粛々として進み、いよいよわたしたちのクラスの番。
「次。桃組、松組、椿組。前に」
黄薔薇さまの声とともに、ぞろぞろと白薔薇さまの前に並ぶ。
「マリア様のご加護がありますように」
「マリア様のご加護がありますように」
薔薇さま方の声が響く中、着々と列が短くなっていく。
さあ、ここからはタイミングが命。わたしは台詞のキッカケを『志摩子さまが乃梨子さんに声をかける瞬間。おメダイを首にかける前』に設定していた。
乃梨子さんの前の方の番が終わって。
彼女が志摩子さまの前から退いて。
志摩子さまが次のおメダイに手をかける。
……ここで、列から横に一歩抜ける。
顔を上げ、志摩子さまが乃梨子さんを見つける。
志摩子さまの表情が小さく笑顔にほころぶ。ここだ!
「マリ――」
「お待ちください!」
ざっ!
瞬間。一斉に満場の視線がわたしに集まるのを感じる。誰もが何事かと息を呑み、わたしを注視している。
――そう、この高揚だ。
これだから、舞台女優はやめられないっ!
「その人は、白薔薇さまからおメダイをいただく資格などありません」
それにしても、あのときの乃梨子さんの表情といったら!
こンの野郎! っていう気持ちが滲み出していたなぁ。いつもはこちらを無視して澄ましている乃梨子さんも、あんな表情することがあるのね、とか、乃梨子さんとケンカしながら妙なことに感心したりしていた。こういう素の乃梨子さんの方が好きだなあ、なーんて。
「じゃ、これ捨てちゃってもいいわね?」
まあ、わたしの見せ場もここまで。数珠を黄薔薇さまにパスするとともに、場の主導権は薔薇さま方に移った。
ま、ここから先の描写は、ちょっとやめておこう。
だって……ねえ。
多分当事者二人にとってみれば、全くの迷惑千万。災難以外の何者でもなかっただろうけれど、見てるこっちからすれば、一大おのろけショーを見せつけられたようなものだもの。
まして、一度は志摩子さまの妹に立候補しようと思っていた者としては、砂をはきたくなるくらい、らぶらぶで目に毒なシーンだったから。……あーあ。本当はあの場所にはわたしがいるはずだったんだけどなあ。抱き合って泣く志摩子さまと乃梨子さんの姿を見ながら、思わず苦笑してしまったわよ、全く。
あ、そうそう。今回最大の収穫といえば。
「薔薇のお姉さま方、瞳子お役に立ったでしょうー? 誉めてくださーい」
「瞳子ー! あんた、その前に謝れよッ!!」
……あの澄ました乃梨子さんが、実はとんでもなく、からかい甲斐のあるキャラだということがわかったってこと。
ふふふ。これからの学園生活が一層楽しくなるってものだわ!
今日の昼休み。なんとなく志摩子さまと乃梨子さんの密会現場である、あの場所に行ってみた。
桜も散ってしまって久しい。花が落ち、すっかり葉桜になったあの桜の樹は、緑一色に染まっていた。
……もう、周囲の木々と区別がつかない。あの孤高の美は失われてしまったけれど、緑あふれるその姿は、周囲の木々に溶け込んで、いまや生命力に満ち満ちていた。
その下でお弁当を食べている二人の姿は、前よりもずっと楽しそうに見えた。
――ようこそ、リリアン女学園へ。
あの素敵な姉妹の誕生に、いくばくかの働きができたことを、改めて嬉しく思った。
……さて、人のこともいいけれど、次は自分のことも考えないと。
薔薇の館入り計画はこれで一旦完全に頓挫してしまった。
選択肢は、もう祐巳さまか由乃さまの二択になってしまったわけだけれど。うーん。
……いや、本当はもう一つ、あることはある。あるんだけど……。
はてさて、どうしようかしらねぇ。
おしまい
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