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2007年3月19日

[雑記]『普通』という幻想 『普通』という幻想

例えばアニメ・ゲーム・小説・漫画、なんでもいいんですが、感想を書いたりする時『一般ユーザ(視聴者)を無視している』『こんなの普通誰も面白いと思わない』など、『一般』とか『普通』という概念を持ち出すことがありますよね。でも、よく考えると何者だか分からないんですよね、この『普通』という存在。

もちろん僕にも、つまらないと思った作品は多々あります。中にはつまらないを通り越して腹が立つような作品もあります。だから『こんなの、誰が面白いと思うんだろう』→『普通の人は誰も面白いと思わないに決まっている』と考える気持ちは良くわかります。でも『普通』って誰なんでしょう?

例えば身内でその作品を観た人が10人いたとします。で、全員その作品を駄作認定したとします。率にして100%。……でもそれはどこの場でも通用する『普通』なんでしょうか。身内であるからには、何らかの共通点のある集団なのでしょう。そこに偏りはないんでしょうか。

あるいはネット上で非難ゴウゴウの作品があるとします。これは『普通』の人に受け入れられない作品なのでしょうか。ネットで情報発信できる人であるという時点で、何らかの偏り(例えば年齢・趣味など)があるのではないでしょうか。

――誤解していただきたくないのは『作品を批判するな』という話ではないということです。ただ、視聴者として、読者として、僕らは自分の感想しか持ち得ないということなのです。話に置いていかれた、ついていけなかったのは、あくまでも(確認できる事実としては)自分だけであるということを忘れてはならないんじゃないかな、と。身内にしても、本当はそこまで嫌いじゃないんだけど、少数派になりたくなくて口をつぐんでいる人もいるかもしれないのですから。

さて、ここからは自分の話です。
『普通』と言いたくなる時って、自分の意見に多数派意見という権威付けをしたくなった時なんですよね。頭ごなしに作品を否定したくなった時に、つい『普通』とか『誰も』とか使ってしまいたくなる。……これって、それを見抜いている人がいたら、えらく恥ずかしいことですよね。『ああ、こいつ本当は自分の意見に自信がないんだ』ってばれちゃいますから。

受け手たる自分にできることは、あくまでも自分の感想を述べることのみ。ここを揺るがせることは、自分の意見を貶めることでもあります。『普通様』にすがることなく、感想を書ける人でありたいな、と思う次第です。

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投稿者 文月そら : 22:18 | コメント (0) | トラックバック