« 2010年2月22日 | メイン | 2010年3月 1日 »
2010年2月28日
■[書籍]【俺の妹が】黒猫邪気眼問題【こんなに可愛いわけがない】(ネタバレ)
前のエントリの続きみたいな感じになりますが、『俺の妹』に登場する黒猫というキャラクタのリアリティについて、ちょっと取り上げてみたいと思います。
実は、私は最初違和感なかったんですが、黒猫の邪気眼ぷりについて、どうもうそくさい、との意見があることを知りました。
……言われてみればその通り。
『頭のいい娘であるはずの黒猫が、あんな現実離れした言動をとるのはおかしい』
確かにその解釈には説得力があります。
でも私には、指摘を受けるまでそういう違和感が全くなかった。何故か。
……恐らくそれは、私自身が割と邪気眼な中高生だったせいだと思われますw
――詳しく話すのは自爆過ぎるので避けますが。
……あ、ちなみにここで、邪気眼とは『現実世界とはかけはなれた厨設定を、現実の中に持ち込んでしまうこと』といったあたりに定義を置くとします。
とにかく、そんな私の個人的な感触として、邪気眼の有無と頭の良さには関係がないのではないか、という考えを持っています。
自分の周りを見渡しても、例えば東大京大、六大学あたりの高学歴な人間であるからといって、その小中高生時代が邪気眼と無関係とは限りません(無論、高学歴が頭の良さと直結するわけではありませんが、全くの無相関ということもないと思うのでここではその議論は置きます)。
さてここで、人は何故邪気眼になるのかを考えてみます。
邪気眼というのは、その設定の特異性ばかりが目を引きますが、それらは突然生じたものではなく、元々はある特定の作品の設定です。例を挙げるなら……まあ世代にも性別にもよるでしょうが、幽々白書であったり、ロードス島戦記であったり、あるいはドラゴンボール、最近ならゼロの使い魔とか、ワンピースなんかも入るかもしれません。……で、黒猫にとってのそれが、恐らく『マスケラ』なんだと思います。
普通の人は面白い物語に触れても「ああ、面白かった」という程度で終わってしまう方が多いでしょう。まあせいぜい、ハリウッドアクション映画を観たあと、しばらく自分が強くなったような気がしたりとか、その程度だと思います。
でも、ある種の業が深い人間はそれでは済みません。描かれた物語、登場人物の姿を全てしゃぶりつくしても飽き足らず、その作品世界そのものを自分の中に取り込もうとします。描かれたエピソードの裏側はどうなっていたのか、描かれなかった人間関係はどうだったのか、その後、本当に世界は平和になったのか、などなど。そして発想を膨らましていく中で、世界に破綻を見つけると、無理のない新設定を考え、物語をつむぎ出して修復します。こうして妄想はとどまるところを知らずに拡大していきます。当然、世界観も人物像も、どんどんリアリティを増していきます。
ついに没入が臨界点を越えると、こういうことを考えるようになります。
『もしかすると知らないだけで、この世界のどこかに、本当に彼らはいるんじゃないだろうか』
『もしかすると知らないだけで、ああいう超能力が、この世界にもあるんじゃないだろうか』
……邪気眼、一丁上がり、であります。
この辺、黒猫が同人活動をしているというあたりを含めて、非常にリアリティを感じるんですよね。
でもって、大好きなその世界観にひっぱられて、オリジナルを書いてもそっち方向から離れられなくなってしまうのです。特に若い頃は。
……とまあ、以上のようなことから、黒猫はああいう業の深い娘になっているのではないかと考える次第です。
【このエントリにはタグがつけられていません】
投稿者 文月そら : 04:06 | コメント (0) | トラックバック