« コードギアス反逆のルルーシュR2第一話 | メイン | デーモン小暮 ブロガーに「安易な言葉」への注意促す »
2008年4月 7日
■[雑記]クソと神のハザマ Tweet
最近の風潮というか、自分もかなり影響を受けてるんですが、何か作品に対して、安直にクソとか神とか言いすぎなのが気になっています。
感性は人それぞれで、ある人にとっては面白いものも、ある人にとってはぜんぜんつまらなかったりする。
で、その感想のどっちが正しいかというと、結局正解はなくて、単にどこを見ているかの違いだけだったりもするわけです。
例えばキャラ重視の人、ストーリ重視の人、アクション重視の人、思い入れ重視の人、様々な観点があって、それをもとに、各個人の評価というのは決まってくる。
そういう前提があるにも関わらず、誰かがクソだと言ってしまうと、それだけでその作品を見てくれない、あるいはまともに見てくれない人が生まれてしまうのが、どうにも口惜しいんですよね。……無論、自分が気に入った作品限定なわけですが(w
やっぱり、先入観っていうのはすげえ影響力が大きいと思うわけですよ。
例えば、今思いつきでカイジを引き合いに出してみますが(以下ネタバレアリ)
会長との勝負にあたって、カイジはティッシュケースを利用したトリックを考え付くわけですが、あのトリックって実は陳腐じゃないですか。
ティッシュケースが横から開くっていうのは、知っている人にとっては当然極まりないことであって、どうしてそんなに盛り上がっちゃうのカイジくん、とか思ってしまいかねない。
でも、知らない人にとっては、特に、精神的にいっぱいいっぱいのカイジにとっては、戦慄を覚えるほどの発見だったわけです。
ここで、この時点でトリックが陳腐だクソだ作者枯渇したな、などと言ってしまう事はたやすい。
でも、会長はこのトリックをごくあっさりと看破しますよね。
その展開に説得力をもたせるのは、逆にあの発想の陳腐さなんじゃないかと思うわけです。
基本的にあの物語は、カイジの主観で展開しますから、カイジが凄いと思ったことが本当に凄いかどうかは明らかでない。むしろ、伏線だったりするわけです。
かように物語は最後まで語られてみるまで分からないものです。
それに、途中で簡単に見切りをつけてしまう風潮が、ちょっと淋しく思う次第なのです。
また一方、逆もまた真なりで、神だ神だともてはやすことも、作品の評価をゆがめている気がします。神だと聞いて観た人が、神でもなんでもねーということになると、信者キモイで容易にアンチ化しますからね。
だから、理想としては、これこれこういう視点でみると、どうにもこの作品が理解できないとか、あるいはこういう視点から、この作品はおもしろいよね、とかいった、具体的な指摘を含めた感想というのが理想的だなあと思うわけです。
ただまあ、一般視聴者にそこまで求めることが可能なのかという話になると、やっぱり難しいのは確かなんですよね。ていうか、ムリ。
物語っていうのは、人によって価値がマイナス100にもプラス100にもなるもので、クソはクソとしか思えないし、神は神としか思えない。それは自然な発想ではあるんですよね。
そこまで考えて、私の考えは堂々巡りに陥るのでした。
どうどう。
投稿者 文月そら : 2008年4月 7日 23:27
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://monomino-oka.niu.ne.jp/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/144
コメント
俺は、この問題については、要はそこまで物語を必要としていない人にとっては、神かクソにしかならないんだろうなあ、みたいなことを考えてます。
作品をどうにかして楽しみたい人にとっては、愛することのできる作品は、多ければ多いほどいい。そこまでの必然性がない人にとっては、みんなが神っていってるから神でいいや、みたいな。俺(おそらくふづきさんもそうだとは思いますが)にとっては、作品で重要なのは「その世界でなにが進行しているのか」ということだと思うんですが、別にそこまで愛着を持つ必要のない人にとっては「自分の欲望に対してどうサービスしてくれるか」なんじゃないかなー、と。
先入観は確かにでかいんですが、それ以上に、求めてるものがそもそも違う、というのが俺の印象です。
で、俺はもともと他人の評価がまったく頭に入らないタイプの人間なんで、神でもクソでもなんでもよかったりするんですが、ただ、その風潮が、心ある作者をスポイルする結果になることだけは、危惧してます。それ困るし。危惧するっつっても、俺にできるのは買うことくらいですが。
投稿者 えむけーつー : 2008年4月13日 02:22
はじめまして、西由記ですmm(_ _)mm
大学が午後からなので遊びに来ました+*゚.ヾ(*´∀`)ノ☆*+.
私はブログでライトノベルとか漫画とかアニメとか紹介してるのですが確かに評価の二極化が進んでますね
ただ、評価を下す人って責任がいると思うんですよ
その人が作品に評価を下すことによって作品と出会う機会が与えられるかもしれないし、奪われてしまうかもしれない。
それってかなり重要なことだと思うんですよ。
ただ匿名性が維持される限りは責任感は芽生えないのかな?
寂しい話です
投稿者 西由記 : 2008年4月16日 09:28
レスが遅れて申しわけありません。
考え込んでました。
そういえば、誤解を生んだようなので明言しておきますが、これとこの次のエントリについては、
決して『批判をするな』という意味ではありません。
感動した、と同じように、こういうところは合わなかった、あるいは、単にわたしは嫌いだ、というのも立派な感想です。
見もしないで、触れもしないで、あるいは最初から叩くためだけに作品に触れるような動きがあることについて、物申したかったのです。
>MK2さん
>作品をどうにかして楽しみたい人にとっては、愛することのできる作品は、多ければ多いほどいい。そこまでの必然性がない人にとっては、みんなが神っていってるから神でいいや、みたいな。
>求めてるものがそもそも違う
ああ、なるほど。
ものがたり、というものに、そもそもあまり思い入れがないから、簡単に、あるいは見ずにでもコキ下ろせるという側面があるのかもしれませんね。
これはものがたりに限らない話に広がってしまうんですけど、なんか、袋叩きダイスキな人、多いですよね。2chあたりの各種祭りの参加者なんかは、叩ければ真実なんかどうでもいいって公言している人すらいます。
なんかそういうのが、最近凄くせつないんですよ。
>西由記さん
ようこそいらっしゃいました。はじめまして。
文月そらと申します。
>評価を下す人って責任がいると思うんですよ
そうなんですよね。
レビューサイトなんかでは、なんかわざと過激なことを言うことで注目を集めようとしているように見受けられるところもあります。
辛口サイトといいながら、実際のレビューをみてみると、あの伏線も見落としてる、この展開も理解してない、みたいな。
まあ、嫌いなものをいやいやプレイしたり、観たりすれば、当然見落としが発生するわけですけど、公の場で叩く以上は、覚悟をもって叩いて欲しいと思います。
影響力、ありますからね……。
>ただ匿名性が維持される限りは責任感は芽生えないのかな?
>寂しい話です
将来のことは分かりませんが、少なくとも今のネットは匿名の世界です。
そうである以上、この手の悲喜劇というのは、なくならないだろうなあと思います。
全て承知の上で、むしろ沢山の人を傷つけるためにやっている人、いっぱいいますからね。
ただまあ、それでも、自分が思ったより大きな力を持っていて、意図せず誰かの足を踏んづけてしまう可能性があるということを認識してくれる人が増えれば、多少、何かが変わってくるかもしれません。
本当にささやかな変化だとは思いますが。
投稿者 文月そら : 2008年4月17日 03:17