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2008年12月24日

[雑記]オーバーニー私論 オーバーニー私論

 オーバーニー。単にニーソックス、ニーソと呼んだり、あるいは最近はニーハイと呼称されたりもするが、要するに膝丈よりも上、ふとももの一部までをカバーするソックスのことを指す。
 ことに漫画においては、『画面が白いと、読者にしまりのない印象を与える』という問題があって、足の大部分をベタで塗りつぶすことができるオーバーニーの表現は、画面を引き締めるための一般的な技法として、実はかなり昔から多用されてきた。(ちゃんと調べたわけではないが、手元では少なくとも1991年には、ワイド版究極超人あ〜る3巻の表紙で、すでにえりかがオーバーニーを履いている)
 近年、絶対領域という言葉の浸透とともに、萌え属性として定着してきた感のあるオーバーニーであるが、これは従来からある、いわゆる一般的な靴下萌えとは一線を画すことを指摘しておきたい。いわばオーバーニーは、ふとももの魅力を強調するために他の全てを脇役に廻す焦土戦術なのである。
 これは、ことに黒オーバーニーにおいて顕著である。
 黒オーバーニーは、当然ながらそれが覆う脚全体を黒く塗りつぶす。すると必然的に、オーバーニーに覆われた脚の部分はそのラインのみを残して印象を喪失し、露出しているふとももが視線を引くことになる。また、オーバーニーのゴムバンドによるふとももへの締め付けによって、ふとももの弾力とやわらかさが、画面を見ただけで伝わってくるという効果も期待できる。つまり、オーバーニー萌えとは、ソックス萌えでありながらソックスそれ自体でなく、ふとももの魅力を強調する点で、他の靴下萌えとは一線を画するのである。
 一方、黒のオーバーニー以外では、この性質はやや薄まり、オーバーニーの柄やデザインそれ自体も独自の吸引力を主張することになるが、それでも主役がふとももであることに変わりはない。この主役こそが、昨今絶対領域と呼称されるそれである。

 ここで一つ強く主張しておきたいが、オーバーニー萌え画像において、ぱんちらは厳禁である。理由は単純である。主題がブレるからだ。舞台に主役は二人いらないのである。その意味で、個人的にミニスカオーバーニーよりも短パンオーバーニーの方が純度が高いといえる。ミニスカはぱんちらの可能性を有することにより、主題への集中を妨げる。一方短パンは、ぱんちらの危険を冒すことなく、ふとももを更に上方まで堪能することができる点が素晴らしいといえる。

 ――さあ、お前は何を言っているんだと思いましたか?
 私もそう思いました。

 そんなあなたと私に、メリークリスマス!

投稿者 文月そら : 2008年12月24日 00:24

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コメント

すばらしい論考。だれの役にも立たないあたりが、透明な知性と熱意を感じさせます。

投稿者 えむけーつー : 2008年12月24日 04:42

>だれの役にも立たない

身に余る光栄w
人間にしか価値の分からない、具体的な利益の全くない知性の働きこそが、一番人間的であり、純粋数学はそのままでは全く役に立たないからこそ、学問としての純度が高く、価値があるのだと、某推理小説家氏が言っていました。全くその通りだと思います。
つまりオーバーニーは人類の遺産。(えー)

投稿者 文月そら : 2008年12月26日 04:01

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